事務所退所の長瀬の活動が気になりますね
ジャニーズ事務所に、入所希望の履歴書が届いた。目を通し社長が一目で気に入り、本来行われるはずのオーディションを飛ばして即合格。来年3月いっぱいでの退所が発表された長瀬智也のアイドル人生は、異例のスタートだった。
長身の男らしいルックスとワイルドな顔立ち、女性だけでなく男性からの人気も高く、アイドルとしては異色。ジャニーズ内では、なにかと“特別”な存在だった。
1990年に11才で入所。それからわずか2年後、TOKIOの結成前に役者としてデビューするのだが、これは演技力が群を抜いていたからといわれている。
TOKIOといえば、日本一の男性アイドル事務所にいながらにして、数少ないバンド形式でのデビュー。『ザ!鉄腕!DASH!!』の企画では、そのバンドの枠すら飛び越え、農家や土木作業員顔負けのガチな技術力や資格を持つようになり、本業なはずの“歌って踊る”とは異なる路線で輝いてきたグループである。
この特殊なグループにおいて特に我が道を行くメンバーが長瀬だった。“趣味への傾倒”は凄まじく、ハーレーダビッドソンを20台所有していたり、ギターを何本も所有し、自宅に音楽スタジオを作ったりと、スケールもでかい。バイク、ギターについて語る雑誌連載を抱えるなど、仕事のチョイスもマニアだ。イケメンすぎる所ジョージといった感じか。2017年には裏アカとみられるものが流出したにも関わらずバイクやギターの投稿ばかりだったので、逆に好感度が上がるという不思議な現象さえ起こった(現在は削除済み)。 とにかく、長瀬が駆け抜けてきた芸能人生は、ほぼ、“アイドルから逸脱したところにあった”といっていい。
とりあえず、入所した時点での長瀬は“歌って踊る”伝統的なジャニーズアイドルを志していたということだろう。この最初期のインタビューを追っていくと、1991~92年くらいまで、長瀬少年はたびたび「バック転ができる」「バック宙ができる」と取り憑かれたかのように繰り返し発言していることがわかる。 しかし、転機が訪れたのは中1。イギリスのハードロックバンド『ディープ・パープル』にどハマりするのだ。それ以降、バック転自慢は鳴りをひそめ、インタビューでも「ロック」や「バンド」というワードが頻出するように。そして1994年、TOKIOのリードボーカル(バンドマン)としてデビュー。 結論としては、彼がTHE・ジャニーズアイドル然としていたのは、たったの1年足らずということになる。やはり長瀬は特殊すぎるのだ。
来年3月いっぱいで事務所退所する長瀬智也の退所後の活動についていろいろとネット上でもいわれてる長瀬智也!
退所後の活動気になりますね